CMHの歌詞見てたら妄想が爆発した話

記事書くの8ヶ月ぶりらしいです。草。

 

お久しぶりです。前回の記事の予測が1ミリも当たっていなかったデビパンダです。

 

早坂美玲のソロ曲Claw My Heart(以下CMH)の歌詞に「飾ったのはハデな街の 片隅で 霞んだまま消えていくのが嫌だから」って歌詞があるんですけど(知らない人は今すぐCMHをCDでも配信でもいいので購入しましょう)、この歌詞から妄想が爆発して早坂美玲のオリジンが見えちゃった気がしたのでブログにしました。鉄は熱いうちに打てって言いますしね。

 

さて、さっきあげた歌詞の前にCMHの話をしましょう。

この曲は今まで(特に初期)の悩んでいた早坂美玲を示唆するような歌詞やメロディーからサビで一気に爆発し、そうした過去の自分に発破をかけ背中を押すといった感じの曲になっています。全体的に早坂美玲を表すキーワードや表現が多く、一見するとキャラソンっぽく見える曲ですが、僕はこの曲をキャラソンではなく「早坂美玲」というアイドルが自分の全てをファンにぶつけて応援する為のアイドルソングだと思っています。過去の自分を匂わせる歌詞が多いのは同じような悩みを抱えているファンへエールを送るために曲としての説得力を持たせるためのものだと思いますし、実際に早坂美玲の1ファンである僕はこの曲に心を救われるぐらいには説得力がありました。今回はそれぐらい早坂美玲を感じられるこの曲の歌詞を見れば早坂美玲の過去がわかんじゃね?という話です。

 

そこで今回注目したのは「飾ったのはハデな街の 片隅で 霞んだまま消えていくのが嫌だから」という歌詞です。この歌詞は言い換えると「ハデな街」に早坂美玲がいて、美玲は周りがハデだからこのままでは自分は消えてしまうのではないかと思い自分を飾ったということですね。なんと、ハデな街にいた美玲は霞んでいたんですよ。ここから今は結構個性的なファッションをしている美玲も昔は個性的ではなくむしろ普通な格好をしていたことが想像できます。そして(ここら辺からほとんど妄想)、この「霞んだ」という表現から当時の美玲が自分らしさというものを持てずに自分の輪郭がぼんやりとしていたことが伺えます。上記を踏まえてこの一連の歌詞を「自分というものがわからないまま生きていくのが嫌だから自分を飾って自分らしさを手に入れようとした」と解釈すると、この自分を「飾った」ものはただ単に格好をハデにしただけでなく美玲に「自分らしさ」を与えてくれたのではないかと考えることができます。早坂美玲を「飾って」いて、美玲らしさになっているもの…何か思い浮かびませんか?…そう、ガルモンですね。ガルモンというのは美玲が気に入っているファッションブランドで主にパンクファッションを取り扱っています。では、初期の美玲はなぜ自分らしいファッションをガルモンに求めていたのでしょうか。まぁ色々理由はあると思いますが一番大きかったのはガルモンが「手軽に個性を与えてくれるファッション」だったことではないかと思います。そもそも強い拘りとファッションセンスが初めから備わっていたのなら特定企業のファッションに依存する必要はありません。美玲がガルモンを選んだのはガルモンが周りの人たちに選ばれないファッションであることで間接的に自分らしさを表現できるということと、ガルモンがブランドという形でファッションを提供してくれることでファッションによる自分らしさもパッケージングして提供してもらえるということが、早く自分らしさを確立したい美玲にとって魅力的に映ったからでしょう。自分で完全にオリジナルのものを生み出すよりも企業にパッケージングしてもらったものを自分らしさとする方が遥かに早いですし、楽です。特にガルモンの取り扱うパンクファッションはワルっぽいファッションで「普通」のファッションと比べれば明らかに異質で周りと差別化しやすいですし。

 

出したい妄想を吐き出し終わったのでまとめに入るんですが、このブログで言いたかったのはCMHの「飾ったのはハデな街の 片隅で 霞んだまま消えていくのが嫌だから」という歌詞から早坂美玲が元々は普通の女の子で、自分らしさがわからない不安からガルモンにたどり着いてあの個性的なファッションが誕生したということが言えるんじゃないかということでした。このブログだけ読むと「早坂美玲らしさはガルモンに依存している」ように見えるかもしれませんが、美玲はアイドル活動を通じて自分らしさを見つけ出してきているので今はそんなに依存してないと思います(ガルモンとはソロ曲とかカバー曲のジャケにガルモンのマスコットが出るくらいには仲がいいけど多分依存はしてない)。もし、この記事で早坂美玲が気になった方がいたらデレでもモバでもいいのでコミュを読んでもっと美玲を知ってもらえたら嬉しいです。